Frei aber einsam

中世、ルネサンス、バロック音楽を楽しむ

ブルゴーニュ・フランドル

タリス・スコラーズ:ジョスカンのミサ曲全曲録音完成

ルネサンス音楽期の大作曲家ジョスカン(1450/55-1521)のミサ曲は、ベートヴェンの交響曲に相当するような作品群だと思います。 タリス・スコラーズによるミサ曲Pange Linguaの録音で、ルネサンス音楽の魅力を知ることができたものとしては、タリス・スコラ…

イギリスの古楽(その11)John Dunstaple

John Dunstaple (またはDunstable 、c1390-1453)はイングランドの作曲家。 15世紀初期の最も有名な作曲家の一人であり、ルネサンス音楽の始まりとなるブルゴーニュ楽派への礎を築いた重要な作曲家である。 以前は、ダンスタブルDunstableと呼ばれることが…

イギリスの古楽(その10)Walter FryeとJohn Hothby

15世紀の中頃に活動したWalter FryeとJohn Hothbyについて。 ワルター・フライ(Walter Frye, ?-1474?)は、イギリスの作曲家。 イングランド出身。生涯については不明、1474年の遺言が残っている。その作品は、イングランドではなく、大陸側で見つかってい…

イギリスの古楽(その9)Contenance angloise

Contenance angloiseイングランド様式は、 15世紀イギリスに見られた多声音楽のスタイルで3度と6度の和音の使用に特徴がある。 大陸側のブルゴーニュの宮廷や教会音楽に大きな影響を与えた。 John Dunstaple(Dunstable)、Walter Frye、John Hothbyといった…

東欧の古楽(その6)Jakob Regnart

ヤコプ・ルニャール(Jakob Regnart, 1540/1545-1599, Jacob, Jacquesとも)は、おそらくネーデルランド生まれの作曲家。プラハで活動した。 ヤコブ・ルニャール - Wikipedia 1582年から1584年にプラハ宮廷の副楽長を勤めたが、1585年から1596年までインスブ…

東欧の古楽(その5)Kryštof Harant とドヴォルザーク

クリシュトフ・ハラント・ス・ポルジッツ・ア・ベスドルジッツ(Kryštof Harant z Polžic a Bezdružic、1564-1621)は、チェコ人の音楽家。貴族。 クリシュトフ・ハラント - Wikipedia ボヘミアのクレノヴァー城生まれ。インスブルックで教育を受けた後、神…

ヴェネチアの音楽家(その37)Hugo de Lantins

ユゴー・ド・ランタン(Hugo de Lantins, 活動時期1420-1430)は、イタリアで活動した作曲家。 ユゴー・ド・ランタン - Wikipedia Hugo de Lantins 1420年代にヴェネチアで活躍していたことは確実のようだ。しかし、その人生は全く不明である。同時期にヴェ…

ジョスカンのミサ曲新譜

ジョスカンの演奏では定評があるタリス・スコラーズのジョスカンのミサ曲録音の新譜が11/2に出ました。 ルネサンス音楽の頂点に位置づけることができるジョスカンのミサ曲については、以前も4つのミサ曲を紹介しました。 タリス・スコラーズは、ジョスカン…

Adrian Willaertのフロットラ

フランドルから来たアドリアン・ヴィラールト(Adrian Willaert, c1490-1562)は、聖マルコ寺院楽長として、多数の音楽家を育成し、ヴェネチア楽派の基礎を築きました。フランドルから来た聖マルコ寺院の楽長ですから、当然、ミサ曲などの宗教曲が重要です。…

ヴェネチアの音楽家(その8)Cipriano de Rore

チプリアーノ・デ・ローレ(Cipriano de Rore または Cypriano de Rore, 1515/16?-1565)は、ネーデルラント出身だが、活動はイタリア中心であり、ヴェネチアと関係深い作曲家。 チプリアーノ・デ・ローレ - Wikipedia チプリアーノ・デ・ローレは、音楽史上…

対立教皇に仕えたJacob de Senleches

ジャコブ・ド・サンレーシュあるいはサンレシュ(Jacob de Senleches, ?-1395)はフランドルの作曲家。ハープ奏者。アルス・スブティリオル様式の曲が残るシャンティー写本の重要な作曲家の一人。 ジャコブ・ド・サンレーシュ - Wikipedia シャンティー写本 …

オランダからイタリアへ:Johannes Pullois

ヨハネス・プロワJohannes Pullois (あるいは、Pillays, Pilloys, Pylois, Pyloys, Pyllois, Puilloys, Puylloys, Puyllois) (1478年没)は、フランコ・フレミッシュの作曲家。 アントワープ近郊生まれで、アントワープで活躍する。1447年になるとローマに行…

オランダのバロック音楽作曲家(その1)Sweelinck

今回から、オランダに関係深いバロック音楽の作曲家を勉強します。 ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク(Jan Pieterszoon Sweelinck, 1562-1621)は、オランダのオルガニスト、作曲家。 Deventerデーフェンテル出身。ルネサンス音楽からバロック音楽の…

オケゲムによる最古のレクイエム

オケゲムのミサ曲。今回は、レクイエム。デュファイもレクイエムを作曲したとされていますが、現存していません。そのため、現存する作曲者のわかっているミサ曲としては、最古のものとされています(グレゴリオ聖歌は別として)。 ただこのレクイエムは、Sa…

15世紀対位法の頂点:オケゲムのMissa Prolationum

ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, c1410 -1497)の傑作ミサ2つ。 frei-aber-einsam.hatenablog.jp ミサ・プロラツィオーヌム(種々の比率のミサ曲)Missa Prolationum Missa prolationum - Wikipedia 15世紀の対位法を使った作品としては、最も優れ…

オケゲムのミサ曲「だんだんと」を聴く

ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, c1410 -1497)は、フランドルの作曲家。デュファイ(c1400-1474)からジョスカン(c1455-1521)の時代をまたぐ重要な作曲家である。その生涯は不明なところが多いが、c1410-1497というしばしば見かける生没年を信用す…

ジョスカンのミサ曲を聴く(2)

ルネサンス音楽期の大作曲家ジョスカン(1450/55-1521)のミサ曲の続きです。 (3)Missa L'homme arme sexti toni「武装した人」 Missa L'homme armé sexti toni - Wikipedia ルネサンスの多くの作曲家が手がけたL'homme armeミサ。ジョスカンには、「Missa…

ジョスカンのミサ曲を聴く(1)

ルネサンス音楽期の大作曲家ジョスカン(1450/55-1521)。改めて説明する必要はないでしょう。 ジョスカン・デ・プレ - Wikipedia ジョスカンは、世俗曲や作曲の自由度が高かったモテットなどを多数作曲していますが、やはりその代表作はミサ曲であると思いま…

ユグノー戦争の犠牲となったClaude Goudimel

クロード・グディメル (Claude Goudimel, c1510-1572)は、フランスの作曲家、音楽理論家。 ブザンソン生まれ。プロテスタント(カルヴァン派=カトリックからはユグノーHuguenotと呼ばれた)に改宗した。当時のフランスは、宗教内乱であるユグノー戦争の真…

Nicolas Gombertからジョスカンへの哀歌

その作品の完成度の高さと渋さから、ルネサンス音楽期のブラームスとも言われるニコラス・ゴンベールNicolas Gombert (c1495-c1560)。 その代表的なモテットのひとつが、「Musae Jovisジュピターの娘、 ムーサたちよ」。ジョスカンの死にあたって作曲され…

法律家、医師Jean-Baptiste Besardのリュート音楽

ジャン=パティスト・ベサールJean-Baptiste Besard (c1567 – c1625)は、ブザンソンBesançon(現在、フランス)生まれの法律家、医師、作曲家、リュート教育家。 Jean-Baptiste Besard - Wikipedia 最初、ブルゴーニュの学問の中心地であったDôle大学(現在…

戦士Antoine Busnois

アントワーヌ・ビュノワ(Antoine Busnois、またはBusnoys , c1430-1492)はブルゴーニュ公国の作曲家。1467年にはブルゴーニュ公国シャルル突進公のもとに戦士として仕え、ディジョンで宮廷歌手だった。戦士としての時代を経て、ブルッヘの聖ソヴール教会St…

Orlandus Lassusの2つの「バビロンの河のほとりに」

後期ルネサンス音楽を代表する作曲家オルランド・ディ・ラッソ(Orlando di Lasso, イタリア語)、オルランドゥス・ラッスス(Orlandus Lassus, ラテン語)(1532-1594)。 「Super flumina Babylonisバビロンの河のほとりに」というと、パレストリーナ作曲…

我道をいったGaspar van Weerbeke

ガスパル・ファン・ヴェールベケ(Gaspar van Weerbeke, c1445-c1517)は、ネーデルランドの作曲家。1471年、ミラノの宮廷礼拝堂の聖歌隊員となった。その後、ローマ教皇庁聖歌隊に加わるが、ミラノに戻った。1500年以降、再びローマ教皇庁聖歌隊に加わるが…

デュファイの秘書Johannes Regis

ヨハネス・レジス(Johannes Regis, c1425-c1496)は、ルネサンス音楽の確立に大きな影響を与えた大作曲家ギヨーム・デュファイの秘書(secrétaire)である。Chigi写本(1498年から1503年の間に成立?)の中に5つの作品が見られる。 ヨハネス・レジス - Wikipe…

O. Lassusの受難曲

フランドル楽派後期を代表する作曲家オルランドゥス・ラッスス (Orlandus Lassus = ラテン語、Orlando di Lasso = イタリア語)(1532-1594)。彼は、受難を扱っている4つの福音書であるマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、すべての受難曲を作曲した。アカペラ…

フーガのパイオニアSimon Lohet

シモン・ロエ(Simon Lohet(Loxhay), 1550?-1611)は、フランドル、晩年はドイツのシュトゥットガルトを拠点とした音楽家。フーガというスタイルで、最も初期の作品を残している。 シモン・ロエ - Wikipedia www.youtube.com www.youtube.com

ルネサンス人Tinctorisの音楽

ヨハネス・ティンクトーリス(Johannes Tinctoris, c1435-1511)は、フランドル出身の作曲家、音楽理論家、聖職者、詩人、数学者、法律家、そして画家。 ティンクトーリス - Wikipedia Johannes Tinctoris: Complete Theoretical Works www.youtube.com www.…

Hayne van Ghizeghemのシャンソン

エーヌ・ヴァン・ギゼゲム(Hayne van Ghizeghem, c1445-c1472)は、ブルゴーニュ公国の作曲家。シャンソンが知られるが、現存している作品は多くない。戦士であり、戦死した。 エーヌ・ヴァン・ギゼゲム - Wikipedia De tous biens plaine 私の愛する人はよ…

Philippe de Monteの音楽

Philippe de Monte (1521-1603) フィリップ・デ・モンテ - Wikipedia www.youtube.com