Frei aber einsam

中世、ルネサンス、バロック音楽を楽しむ

ルネサンス多声音楽

ヴェネチアの音楽家(その31)Alessandro Grandi

アレッサンドロ・グランディ (Alessandro Grandi,1590-1630)は、イタリアの作曲家。 Alessandro Grandi - Wikipedia ヴェネチア生まれでヴェネチアで育つ。フェラーラでポストを得た後、1617年、サンマルコ寺院に戻り、当時、合唱楽長だったモンテヴェルデ…

ヴェルドロとマキアヴェリ

フィリップ・ヴェルドロ(Philippe Verdelot, c1480-1531?/1552?)は、イタリアで活動したフランス人作曲家。 フィリップ・ヴェルドロ - Wikipedia フランス生まれで、フィレンツェ中心に活動したヴェルドロは、イタリアのマドリガーレの創始者とされる。ヴ…

ヴェネチアの音楽家(その29)Marc Antonio Ingegneri

マルカントニオ・インジェニェーリ(Marc Antonio Ingegneri, 1547-1592)はイタリアの作曲家。 マルカントニオ・インジェニェーリ - Wikipedia おそらくヴェネツィア出身であり、生涯、北イタリアを中心に活動した。1581年、クレモナ大聖堂の終身楽長となる…

ヴェネチアの音楽家(その15)Andrea Gabrieli

アンドレーア・ガブリエーリ(Andrea Gabrieli, c1510-1586)はイタリアの作曲家。オルガニスト。ヴェネチア楽派では、より有名なジョヴァンニ・ガブリエーリのおじ。 アンドレーア・ガブリエーリ - Wikipedia おそらく、ヴェネツィア生まれ。聖マルコ大寺院…

ヴェネチアの音楽家(その9)Giovanni Croce

ジョヴァンニ・クローチェ (Giovanni Croce、 Ioanne a Cruise Clodiensis 、 Zuanne Chiozotto ; 1557-1609)は、イタリアの作曲家。 Giovanni Croce - Wikipedia ヴェネツィア近郊のキオッジャ生まれ。ヴェネツィアで、同郷のGioseffo Zarlinoの指導のも…

ヴェネチアの音楽家(その8)Cipriano de Rore

チプリアーノ・デ・ローレ(Cipriano de Rore または Cypriano de Rore, 1515/16?-1565)は、ネーデルラント出身だが、活動はイタリア中心であり、ヴェネチアと関係深い作曲家。 チプリアーノ・デ・ローレ - Wikipedia チプリアーノ・デ・ローレは、音楽史上…

ヴェネチアの音楽家(その7)Giovanni Bassano

ジョヴァンニ・バッサーノ(Giovanni Bassano, c1561-1617)はイタリアの作曲家。木管楽器奏者、特にコルネットの演奏家。 ジョヴァンニ・バッサーノ - Wikipedia 少年時は、おそらく、サン・マルコ寺院で歌手として活動していた。1586年、サン・ステファノ…

ヴェネチアの音楽家(その4)Claudio Merulo

クラウディオ・メールロ(Claudio Merulo [Merlotti、Merulus、あるいはClaudio da Correggio]、1533-1604)はイタリアの作曲家。オルガン奏者。 クラウディオ・メールロ - Wikipedia コッレッジョ出身。メルロッティMerlotti(Merlotto 黒い小鳥)が本名で…

ヴェネチアの音楽家(その3)Costanzo Porta

コスタンツォ・ポルタ(Costanzo Porta、1528/1529-1601)はイタリアの作曲家。 クレモナ生まれ。1550年、サン・マルコ寺院の楽長であったアドリアン・ヴィラールトに指導されていたらしい。故郷のパドヴァやラヴェンナなどで活動するも、晩年はパドヴァに戻…

ヴェネチアの音楽家(その2)Gioseffo Zarlino

ジョゼッフォ・ツァルリーノ(Gioseffo Zarlino, 1517-1590)はイタリアの作曲家。1558、「ハルモニア教程」(Le istitutioni harmoniche) を著した音楽理論家として重要である。 ジョゼッフォ・ツァルリーノ - Wikipedia Le Istitutioni Harmoniche : Zarlin…

ヴェネチアの音楽家(その1)Annibale Padovano

今回からヴェネチアの音楽家について学びます。アドリアン・ヴィラールトから始まるヴェネチア楽派だけでなく、それ以前、それ以後のバロック期までカバーしたいと思います。 ヴェネツィア楽派 - Wikipedia アンニーバレ・パドヴァーノ(Annibale Padovano、…

オランダからイタリアへ:Johannes Pullois

ヨハネス・プロワJohannes Pullois (あるいは、Pillays, Pilloys, Pylois, Pyloys, Pyllois, Puilloys, Puylloys, Puyllois) (1478年没)は、フランコ・フレミッシュの作曲家。 アントワープ近郊生まれで、アントワープで活躍する。1447年になるとローマに行…

ルネサンス音楽「オラショ」

潜伏キリシタンが、世界文化遺産に正式に登録されました。 今回は、「オラショ」です。ラテン語のオラシオ (oratio) に由来するとされる日本語です。ミサ曲などに馴染みがあれば、Oratioというのは必ず耳にする単語ですが、英語でいうと、Oration、Orator、O…

オケゲムによる最古のレクイエム

オケゲムのミサ曲。今回は、レクイエム。デュファイもレクイエムを作曲したとされていますが、現存していません。そのため、現存する作曲者のわかっているミサ曲としては、最古のものとされています(グレゴリオ聖歌は別として)。 ただこのレクイエムは、Sa…

15世紀対位法の頂点:オケゲムのMissa Prolationum

ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, c1410 -1497)の傑作ミサ2つ。 frei-aber-einsam.hatenablog.jp ミサ・プロラツィオーヌム(種々の比率のミサ曲)Missa Prolationum Missa prolationum - Wikipedia 15世紀の対位法を使った作品としては、最も優れ…

オケゲムのミサ曲「だんだんと」を聴く

ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, c1410 -1497)は、フランドルの作曲家。デュファイ(c1400-1474)からジョスカン(c1455-1521)の時代をまたぐ重要な作曲家である。その生涯は不明なところが多いが、c1410-1497というしばしば見かける生没年を信用す…

ジョスカンのミサ曲を聴く(2)

ルネサンス音楽期の大作曲家ジョスカン(1450/55-1521)のミサ曲の続きです。 (3)Missa L'homme arme sexti toni「武装した人」 Missa L'homme armé sexti toni - Wikipedia ルネサンスの多くの作曲家が手がけたL'homme armeミサ。ジョスカンには、「Missa…

ジョスカンのミサ曲を聴く(1)

ルネサンス音楽期の大作曲家ジョスカン(1450/55-1521)。改めて説明する必要はないでしょう。 ジョスカン・デ・プレ - Wikipedia ジョスカンは、世俗曲や作曲の自由度が高かったモテットなどを多数作曲していますが、やはりその代表作はミサ曲であると思いま…

天才ジョスカン水準とされたFrancisco de Peñalosa

フランシスコ・デ・ペニャローサ(Francisco de Peñalosa, c1470-1528)はスペインの作曲家。セビーリャの教会で活躍したが、ローマにも滞在し教皇庁にも仕えた。 スペインの初期のルネサンス音楽を代表する作曲家であり、ミサ曲、モテットなどの宗教曲が残…

ドイツ・バロック音楽のさきがけChristoph Demantius

ヨハン・クリストフ・デマンティウス(Johann Christoph Demantius, 1567-1643)はボヘミア北部出身のドイツの作曲家、音楽理論家。ドイツの3Sと呼ばれる3人の作曲家(シュッツ、シャイト、シャイン)より、20年ほど早く生まれた。通常、Christoph Demantiu…

ユグノー戦争の犠牲となったClaude Goudimel

クロード・グディメル (Claude Goudimel, c1510-1572)は、フランスの作曲家、音楽理論家。 ブザンソン生まれ。プロテスタント(カルヴァン派=カトリックからはユグノーHuguenotと呼ばれた)に改宗した。当時のフランスは、宗教内乱であるユグノー戦争の真…

Nicolas Gombertからジョスカンへの哀歌

その作品の完成度の高さと渋さから、ルネサンス音楽期のブラームスとも言われるニコラス・ゴンベールNicolas Gombert (c1495-c1560)。 その代表的なモテットのひとつが、「Musae Jovisジュピターの娘、 ムーサたちよ」。ジョスカンの死にあたって作曲され…

戦士Antoine Busnois

アントワーヌ・ビュノワ(Antoine Busnois、またはBusnoys , c1430-1492)はブルゴーニュ公国の作曲家。1467年にはブルゴーニュ公国シャルル突進公のもとに戦士として仕え、ディジョンで宮廷歌手だった。戦士としての時代を経て、ブルッヘの聖ソヴール教会St…

近代科学とベネチアの音楽理論家Gioseffo Zarlino

ジョゼッフォ・ツァルリーノ(Gioseffo Zarlino, 1517-1590)はイタリアの音楽理論家、作曲家。ヴェネツィア近郊で生まれ、モンテヴェルディ、ガブリエリ、ヴィヴァルディなどと続くベネチア楽派の開祖とされるアドリアン・ヴィラールト(Adrian Willaert, c1…

ポルトガルの作曲家Estêvão de Britoの哀歌

エステバオ・デ・ブリートEstêvão de Brito (c. 1570–1641)は、ポルトガル生まれの作曲家。作品の多くは、1755年のリスボン地震により失われてしまった。哀歌がよく知られている。 de Britoの作品、今回、じっくり聴いてみると、なかなか良い感じです。1755…

Orlandus Lassusの2つの「バビロンの河のほとりに」

後期ルネサンス音楽を代表する作曲家オルランド・ディ・ラッソ(Orlando di Lasso, イタリア語)、オルランドゥス・ラッスス(Orlandus Lassus, ラテン語)(1532-1594)。 「Super flumina Babylonisバビロンの河のほとりに」というと、パレストリーナ作曲…

Tallisの40声のモテットSpem in alium

40声のモテットSpem in alium「我、汝の他に望みなし」は、イングランドの作曲家トマス・タリス(Thomas Tallis, 1505-1585)によって、1570年ごろに作曲された。ラテン語の歌詞を持つ5声、それぞれ8人づつ(5x8) の独立した40声部からなる大規模な合唱曲で…

Alessandro Striggioの40声, 60声のためのミサ曲

アレッサンドロ・ストリッジョ(Alessandro Striggio, 1540-1592)はイタリアの作曲家、演奏家。フィレンツェで過ごしたと考えられ、メディチ家と関係が深い。1567年には、メディチ家の外交官としてイングランドに派遣された。1580年代には、フェッラーラの…

メキシコのルネサンス音楽作曲家Juan Gutiérrez de Padilla

ホアン・グティエレス・デ・パディーラJuan Gutiérrez de Padilla (c1590-1664)は、スペイン生まれで、メキシコのプエブラPueblaで活躍した音楽家である。モンテヴェルディ(1567-1643)と同時期の作曲家である。 Juan Gutiérrez de Padilla - Wikipedia www.…

我道をいったGaspar van Weerbeke

ガスパル・ファン・ヴェールベケ(Gaspar van Weerbeke, c1445-c1517)は、ネーデルランドの作曲家。1471年、ミラノの宮廷礼拝堂の聖歌隊員となった。その後、ローマ教皇庁聖歌隊に加わるが、ミラノに戻った。1500年以降、再びローマ教皇庁聖歌隊に加わるが…