ドミトリー・ステパーノヴィチ・ボルトニャンスキー(Dmytro Bortniansky、ロシア語:Дмитрий Степанович Бортнянский、1751-1825)は、ウクライナ人のロシアの作曲家。ウクライナ語では、ドムィトロー・ステパーノヴィチ・ボルトニャーンシクィイ(Дмитро Степанович Бортнянський)。
ヘーチマン国家(コサック国家、ザポロージャのコサック軍)のフルーヒウ生まれ。幼少時にロシアのサンクトペテルブルクに送られ、バルダッサーレ・ガルッピに音楽を習った。1769年、ガルッピに従いイタリアに。ヴェネチアでオペラを作曲し成功する。1779年にサンクトペテルブルクに戻り、宮廷楽長となった。サンクトペテルブルクで逝去し、アレクサンドル・ネフスキー修道院に埋葬された。
器楽曲、オペラなどの作曲をしたが、特に、合唱聖歌コンチェルトの作曲が重要である。
チャイコフスキーの「序曲1812年」の序奏は、合唱聖歌コンチェルト「神よ汝の民を救い」(Спаси, Господи, люди Твоя)の旋律を使っている。序曲1812年の演奏で、その序奏に合唱曲を使う場合は、この曲が演奏される。